
オヌマの柔術の師匠「シャルト先生」から送られてきた一枚
2001年 ドエラい度数の高い酒で契りを交わした時
(紫昇格の日)
左手に持っているパンは、酒を流し込んだ後に食べて緩和させる為にと渡されたもの
このパンシステムが有効だったかは謎です
この後、参加者数名ひとり一人とショットの一気をさせられ、フラフラになったところでストリップハウスへ連れて行かれました
裸の女性の真正面でリバースし、
会場は大盛り上がりとなりました
NOVA UNIAOが世界選手権を席巻していた頃、総裁の右腕としてチームを牽引し、NOVA UNIAOがアメリカ進出の際に送り込まれ、BJペンを育てた名伯楽
性格はスーパーブラジリアンですが、指導の繊細さは日本の職人さんと被る程
世界一の指導者と信じている人は大勢います
ブラジリアンは一瞬で血が沸騰するんだ
と、その気質を誇らしげに語っていて、酔っぱらってはよくケンカをして帰って来ていました
複数とか関係なく、酔って足はフラフラでも「ファイトは大好きだ」と、スポーツライクにこなしていましたので、勝率はイマイチ
「相手が大勢だったから、一発殴ると5発以上帰ってくるんだよ。ボコボコにやられたよ、見ろよこの傷。楽しかったからOKだけどな」
と、寝ているオヌマを起こし、帰りに買ってきたであろうフライドポテトを食べながら、意気揚々に話していました
「格闘技を嗜む者がケンカをしてはいけない」
こんな教えは日本だけ
日本の常識、世界の非常識です
みんなやってましたし、大好きでした。ストリートファイトが
ブラジリアン柔術界でケンカが代名詞と言えば故ハイアン・グレイシー
昔、アブダビコンバットに選手として会場入りしていたシャルト先生
77キロでエントリーするも、会場に着いたら99キロでエントリーされていたとか
結果は3位
(優勝者にテイクダウン一つ差で敗退)
会場を歩いていると、セコンドとして来ていたハイアン・グレイシーが前から歩いて来たそうです
目をギラつかせ、ゆっくりと人の顔を覗き込むように睨みながら
目が合うと寄って来て「やんのかこらぁ!!」とハイアン氏
「どこ中だコラぁ!!」と、ポルトガル語で返すシャルト先生
すると、
「なんだブラジリアンか。せっかく海外に来たから他国の奴とやりたいんだよ。じゃあな、クレイジー」
と、新たな獲物を見つけに歩いて行ったそうです
その数年後、日本の某会場で珍事件
ハイアン氏とオヌマ
数分の押し問答
掴み合い・・・
止めに入ったのはプライドの名物レフリー
側で見ていたのはフジイ
凄い剣幕で押し寄せて来るハイアンに、
「おぉ、ゴング直前の時の目つきじゃねーか!! ぶっ飛ばされちゃうな~。これは良い記念になる!!」
と、テンション上がったのを覚えています
今も止めてくれたレフリーに感謝しきれないオヌマ
「師匠と私のハイアン記」で、話は反れましたが、そんな先生から連絡が
「ミズノの道着と帯が欲しい」
と
「先生、招待するから来てくださいよ。直接買いに行きましょう」
と言うわけで、現在招聘の準備中
領事館やらなんやら
ビザの申請書やらなんやら
RBでもセミナーを計画しようかと
最後に会ったのは4年前のハワイ島
別れ際、通りすがりの女性と親し気に挨拶をしていたので、
友達?
と聞いたら、
俺は結婚したから女性全てが友達になってしまったよHAHAHA~ またな~」
と、去って行きました
「HAHAHA~ またな~」
以来の再会は年内実現予定