大塚歳勝土遺跡       

 RBアカデミー最寄りには「市ヶ尾横穴古墳群」の有る「市ヶ尾遺跡公園」が有ります。その公園とは別の方向に車で10分程行ったセンター北にはΓ大塚・歳勝土遺跡」という史跡が有ります。


今から約40年程前に発見され、弥生時代の集落が綺麗に復元されています。竪穴式住居が7棟、高床式倉庫が1つ有り、竪穴式住居は中に入る事も出来ます。弥生時代の集落としては非常に貴重なものだそうです。


一昔前までは水田稲作=弥生時代でした。米をねずみから守る為の「ねずみ返し」が付いている高床式倉庫も、弥生時代の代表的な建物でした。

水田稲作は約2200~3000年前に朝鮮半島から伝来したと学校では習います。しかし現在はその節は違って来ています。

 

約5500年前の三内丸山遺跡には高床式倉庫があり、日本中で発見されている5000年以前の遺跡の多くで、米、米の化石等が多数発見されています。

発掘された古い米のDNAを調べてみると、大陸のや朝鮮半島の米とは全く違い、大陸、朝鮮半島から移り住んだと言われている大和民族の頭蓋骨の形やDNAも、大陸や朝鮮半島の人達とは全く一致しない結果が出ています。

教科書等で言われているよりも遥か昔から、日本列島には大和民族が存在していたという事になります。

繊維、縄を編み出した時代を縄文と名付けられていますが、繊維を作る技術が無く、毛皮を着ていたであろうと言われている旧石器時代からも縄は発見されており、専門家たちの主張も群雄割拠に突入しているとか。


大塚歳勝土遺跡が見つかったのは40年前です。その当時に高床式倉庫が見つかれば弥生時代と断定されたと思いますが、今の説では縄文時代から稲作、高床式倉庫が存在しますし、水田稲作が主になった弥生時代の集落は平地が圧倒的に多かった訳です。

港北ニュータウンは山を切り崩して出来た街で、この遺跡は今も山の上にあります。

港北ニュータウンでは多くの縄文土器が見つかっています。自分も小学生の頃に土器の破片を山で拾い集め、段ボール一個程持っていました。その9割は縄文式土器でした。つまり、この大塚歳勝土遺跡は、弥生時代ではなく、縄文時代だという可能性は多いにあります。