白梅の塔

沖縄旅行中、家族をホテルに残し、白梅之塔へ行ってきました。

 

沖縄に来た際には立ち寄っています。

 

 

白梅之塔は大東亜戦争沖縄戦に参加した白梅学徒看護隊の慰霊碑。

ひめゆりの塔が有名ですが、女子学徒隊は九つ存在し、沖縄には多くの慰霊碑が存在します。

 

 

大東亜戦争の沖縄戦は、非戦闘員である島民の四人に一人が亡くなった激戦地です。

 

しかしながら沖縄全土が戦地となった訳ではなく、

島を分断する様に中心部分、面積では5分の1程です。

 

その戦況で、沖縄全土の四人に一人が亡くなったと表現される惨状は、その土地のほとんどの人が亡くなったのではと想像させます。

 

聞いた話では、避難経路は足の踏み場も無いほどの死体。

死体の上を這いずりながら、死体の懐から食料を拝借しながら逃げたそうです。

 

 

 

沖縄の女子学徒隊とは、15歳~19歳の女学生で結成された看護隊です。

一般的な看護師の処置ではなく、蛆が湧いた足の切断、瀕死の兵隊に青酸カリを与えるという任務が大半だったそうです。

 

 

戦況が悪化し、女子学徒隊には解散命令が下されました。

共に最後まで戦いたいという少女達の願いを、決死覚悟の兵士たちは生きて欲しいと断りました。

 

しかし、全て焼かれた土地には行くところは無りません。武器も食料も無い状況での解散は、生き延びる事は賭けでしかない状況。実際、約半数が亡くなりました。

 

 

 

沖縄戦については多くの見解があり、今も本土と沖縄には溝があります。

 

沖縄戦で指揮をした大田實少将は、自決wおする前に長い電文を残しています。

自身の遺書となる内容ではなく、献身的に尽くし、支えてくれた島民の事を記し、

「県民に対し、後世特別の配慮をして頂く事を願う」

という言葉で締め括られています。

 

その後、戦艦大和は沖縄を目指し、必死の特攻部隊も結成されました。

これらの作戦が、沖縄を救う為に開始された事は意外と知られていません。

 

 

 

 

 

白梅之塔は最激戦区だった国吉地区にあります。

サトウキビ畑がある山中にひっそりと存在してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駐車場の奥にあるのが慰霊碑

白梅学徒隊の生き残りの方々の管理の為、細かい住所は非公開となっています

 

 

 

 

しかし現地でナビを見てもこの一帯は番地が表示されていない。

 

40分程滞在しましたが、農家のトラックが一台通っただけでした 。

 

 

 

 

 

 

 

 

慰霊碑、納骨堂があります

きちんと花が供えられていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塔の右脇には自決の壕があります

解散後もこの壕を拠点に看護活動を続行していましたが、アメリカ軍に発見される

 

僅かには投降、生存の道も有ったかもしれませんが、彼女たちの選択は自決でした

 

 

 

 

 

 

 

 

自決された壕

入口付近を過ぎ、余りに日常と異なる雰囲気に思わず引き返しました

 

再度、気を静め奥まで入り手を合わせました

 

 

 

 

 

 

また来年行きます