2017年

1月

06日

白梅の塔

沖縄旅行中、家族をホテルに残し、一人社会科見学。白梅之塔へ行ってきました。

 

白梅之塔は大東亜戦争沖縄戦に参加した女子学徒隊の一つ、白梅学徒看護隊の慰霊碑です。

ひめゆりの塔が有名ですが、女子学徒隊は九つ存在し、沖縄には本当に多くの慰霊碑が存在します。

 

大東亜戦争の沖縄戦は、非戦闘員である島民の四人に一人が亡くなった激戦地です。

しかしながら沖縄全土が戦地となった訳ではなく、戦闘が有ったのは島を分断する様に中心部分、面積では5分の1程です。その戦況で、沖縄全土の四人に一人が亡くなったと表現される惨状は、その土地の人のほとんどは亡くなったのではと想像させます。

 

自分が聞いた話では、逃げる道は間隔が無いほど死体だらけで、死体の上を這いずりながら、死体の懐から食料を拝借しながら逃げたそうです。

 

沖縄の女子学徒隊とは、15歳~19歳の女学生で結成された看護隊です。

一般的な看護師の処置というよりは、蛆が湧いた足の切断、瀕死の兵隊に青酸カリを与えるという任務が大半だったそうです。

 

当時、兵士を支えた日本人女性の強さを物語る話は多く存在します。

野戦病院が攻撃された際、瞬時に学徒隊の少女が負傷兵を守る為に覆いかぶさったそうです。足も失って逃げる事の出来ない兵士は、巻き添えにならないように逃げてくれと言いました。しかし逃げようともせず、歩けないならば「私が靖国神社までお連れします」と、その場を離れなかったそうです。

※戦争で亡くなった人は靖国神社に祀られる為、兵士たちも同士や家族に「靖国で会おう」という言葉を残し戦場へ向かいました

 

 

戦況が悪化し、女子学徒隊には解散命令が下されました。共に最後まで戦いたいという少女達の願いを、決死覚悟の兵士たちは生きて欲しいと断りました。

しかし全て焼かれた土地には行くところも無く、武器も食料も無い状況での解散は、生き延びる事は賭けでしかない状況です。実際、約半数が亡くなりました。

 

沖縄戦については多くの見解があり、今も本土と沖縄には溝があります。

沖縄戦で指揮をした大田實少将は、自決する前に長い電文を残しています。自身の遺書となる内容ではなく、献身的に尽くし、支えてくれた島民の事を記し、「県民に対し、後世特別の配慮をして頂く事を願う」という言葉で締め括られています。

そして、それらを理解していたからこそ戦艦大和も沖縄を目指し、必死の特攻部隊も結成されました。特攻作戦は沖縄を救う為に開始された作戦で有る事は意外と知られていません。

 

 

 

 

 

白梅之塔は最激戦区だった国吉地区にあります

サトウキビを作る畑等がある山中にひっそりと存在してます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駐車場の奥にあるのが慰霊碑

白梅学徒隊の生き残りの方々の管理の為、細かい住所は非公開となっています

 

しかし現地でナビを見てもこの一帯は番地が表示されていない

 

40分程滞在しましたが、農家のトラックが一台通っただけでした 

 

 

 

 

 

 

 

 

慰霊碑、納骨堂があります

きちんと花が供えられていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塔の右脇には自決の壕があります

解散後もこの壕を拠点に看護活動を続行していましたが、アメリカ軍に発見される

僅かには投降、生存の道も有ったかもしれませんが、彼女たちの選択は自決でした

 

 

 

 

 

 

 

 

自決された壕

入口付近を過ぎ、余りに日常と異なる雰囲気に思わず引き返しました

再度、気を静め奥まで入り手を合わせました

 

 

 

 

 

 

個人行動の時間に限りが有る為帰路へ

 

また行かねば