2016年

5月

10日

福島を訪ねました

 「見なきゃ」「行かなきゃ」と思いつつ数年が経ってしまっていた福島。「非難区域へ入って見る事は出来る?自分はネットで福島産の食品を購入しているし、原発や放射線についても多少の知識は得ているので偏見は無い」と、福島の知友に連絡をしました。

「5年が経ちましたが手つかずの所はまだまだありますので、来て頂けるだけでもありがたく思います」と、返信を貰い、彼が仕事で付近へ行く際に同行させて貰える事になり、行って来ました。

目的地は浜通り、原発10キロ圏内の大熊町、双葉町、浪江町です。

常磐道で福島県に入ると、割と頻繁に放射線量が表示されています。やはり風評被害が起きているこの地では、こういう取り組みは必須なのでしょう。

 

しかしながら、数字で理解できる人は少ないと思います。日本は原発国でありながら放射線について学校で習わない珍しい国です。放射線と放射能、シーベルトとベクレル、何が違うのか。分からないから怖い。お化けと同じです。

 

毎時0,6マイクロシーベルト。世界的に見ても高くない数値です。

 

高速を降り、待ち合わせの浪江町へ向う途中

 

畑はそのままで荒れ放題でした。

 

 

浪江駅到着。

 

休線か廃線かは分かりませんが、封鎖されています。

 

駅前商店街

浪江町は非難指示が解除されているので、早めに着いて食事でもと考えていたのですが、自分の無知ぶりに驚きました。

飯屋はおろか、コンビニも自販機さえも稼働しておらず。

 

非難指示が解除されるも、ライフラインの復旧が完全ではない事も含め、誰も戻って来ていないのが現状。

 

警戒のパトカー、整備車両を見かける以外に人は居ません。

 

ドラクエで誰もいない町に到着したあの感じでした。本当に無音。

浪江駅前ロータリー正面のお店も時が止まったまま

 

東日本大震災後は、買えるものは被災地から購入しようと浪江町、大熊町、双葉町の店を探していたのですが、全くヒットしなかった理由が分かりました。

人が居ないのですから店がやっている訳がありません。

津波に襲われた海に近い住宅地跡

 

特殊車両で案内して貰っていたのですが、「この辺りも直後は死体だらけでした」と運転手さん。

 

今も捜索は続けられているそうです。

 

 

悪天候の為、しっかり見る事が出来ませんでしたが、津波によって破壊されたままの堤防も。危険です。

 

 

流された車と自販機もそのまま

 

 

放射線測定器を持参

 

小型なので計測には時間を要しますが、一応信頼の日本製。

浪江町は毎時0,36マイクロシーベルト。「ハマ」印は自宅前で0,13マイクロシーベルト。

 

第一原発の目の前まで行ってくれましたが、さすがに撮影は禁止でした。入口付近で毎時1.8マイクロシーベルト。

日本が輸入している食品の生産国でもこの数値より高い国は幾つもあります。

 

津波が直撃した小学校

 

水は二階にまでに達したそうです。

 

 

 

 

一階の教室

 

二階建の校舎で二階まで波が達したとういう事は…

車を降りて思わず手を合わせました。

 

すると「ここは人的被害はほとんどありませんでした」との説明。

 

ホッとしながらやや照れました。

 

 多くの入院患者が居たにも関わらず、患者を置いて医者が逃げ出したという原発付近の病院にも案内されました。原発事故が起きた時、福島第一原発には勤務時間外の作業員、定年を迎えて引退した元作業員までもが自ら駆け付けたそうですが、この病院の医者は患者を残して逃げたそうです。

後日、別の医療班が駆け付けた時には多くの患者が死亡していたそうです。

 

「風評被害は根強いから国有地にでもしないとダメです」と彼は言います。根付いてしまったマイナスイメージを払拭出来る求心力が生まれなければ人は集まりません。

福島で安全検査を行い、安全が確認出来た上で国際オリンピック委員会は東京開催を決定しています。その辺りを絡め、幾つかの競技を福島で開催出来れば俄然変わってくると思います。

原爆が投下された広島は、20万人という死傷者が出た被爆地ですが、以降70年人が住み続け、世界中から人が集まって来ています。放射線を危険視する発言すら有りません。

 

帰りの道中、「福島の今を感じていただけたなら幸いです。気を付けてお帰り下さい」と、メールが来ました。

彼の地元愛、社会人としての責任感は大人の男として見習うべき点が多いです。

 

福島県内でも「復興バブル」と言われて賑わっている町もあるそうです。しかし今回訪れた町の復興はまだ始まっていませんでした。