2016年

4月

09日

腐れ縁 そして初めての告白(推測)

 RBの黒帯第一号が藤井だった事を一言で表すと「腐れ縁」です。藤井にすれば勿論「良縁」であったと思っております。

我々の出会いは1999年湘南格闘クラブでした。当時の湘南格闘は常設道場ではなく平塚の公共施設で活動しており、そこの代表が当時22歳くらいだった彼でした。代表を「やらされていた」という方が正しい表現だと思います。

数週間ですが、ハワイのノヴァウニオンで柔術をスタートしていた自分は、すぐにハワイへ戻ると決めながら金策していた期間、運動不足にならないように寝技の練習が出来る所を探していました。湘南格闘は遠かったですが、サークルで料金も有って無いようなものでしたし、常設道場に入門するより敷居が低かったので連絡を入れて来館しました。

代表として現れたのは気弱そうで色白、めがねの若かりし頃の彼でした。彼は自分を一目見るなりに苦手意識を露わにし、「横浜からでは遠いですよね?どこか近くの道場を紹介しましょうか?」と言いましたが、「高速の乗り口が近いので大丈夫です。よろしくお願いします」と、入会しました。今思えば、紹介します等と言っていましたが、恐らく本とか見て紹介しようとしていたのだと思います。当然ですが。藤井さんと呼び、敬語で話していました。

 湘南格闘が常設道場となってからは二人ともスタッフとして抱えて頂き、自分が独立してからも彼はちょいちょいRBに顔は出していました。そして数年後、湘南の岡林会長から「奴がそっちに顔出すと思うよ」と、連絡があり、翌日に現れ移籍する事となりました。事情は内緒です。

 

 付き合いが長いので色々な事がありました。2000年の年末、向笠くんの家で3人でプライドのPPV放送を見ていた時の事です。当時彼は好きな人がいて、内気と言うか、ヘタレだったので告白も出来ずにいました。クリスマスも近いので我々は散々煽ったのですが、彼は怖気づいていたので、自分が引き込み三角の形に捉え、十字を極めながら「言うか? 今電話するか?」と、彼の背中を押してあげました。道場生ならご存知かも知れませんが、彼は絞めにはめっぽう強いので、危機感を感じる位に腕を極めました。そして「電話するまで中に入れねぇからな」と、真冬の夜のベランダに薄着で放り出し、カーテンを閉め、カーテン越しに聞き耳を立てていたのでした。当時19歳の向笠君が。

「寒くないのかアイツ?」と言う程に電話を掛けず、ただただ深呼吸を繰り返している様子だけがカーテン越しに伝わって来ていました。

約10分後、電話を掛けて相手を呼び出す事に成功しました。平塚、七夕祭りでおなじみのアーケド商店街で二人は話していました。絶妙な距離で見守る向笠君。話を終えると「ありがとうございました。前に出れて本当に良かったです」と感謝をされ、3人で飯を食いに行ったのでした。

その時の結果は個人情報なので(今更)本人から聞いてください。

 

おわります